やわたはま地方創生ちゃんねる

マーマレード部長の徒然日記

(番外編)落語:千両みかん

古典落語に「千両みかん」という噺があります。

あらすじは以下のようなものです。

-----------------

ある呉服屋の若だんなが急に患いつき、『明日をも知れぬ重病』になった。
医者が言うには、「これは気の病で、何か心に思っていることがかないさえすれば、きっと全快する」のだとか。
しかし、いくら父親がたずねてみても、若旦那は首を横に振るばかりで答えようとしない。
数日後…。若旦那は、とうとう飯も喉に通らないほど衰弱してしまう。
みかねた父親は番頭の佐兵衛を呼び出し、「何が何でも若旦那の悩みを聞きだせ!」と厳命。
「きっと、好きな女の子でもできたに違いありません」
なかなか口を割らない若旦那を、「必ずどうにかするから」とようやく白状させてみると…。
「実は、……ミカンが食べたい」
あっけに取られた番頭。「座敷中ミカンで埋めてあげます」と請け合って、大旦那にご報告。
「まずい事をいったものだな」
「どうしてです?」
「どこにミカンがあるんだ?」
その通り。冬場の出盛りならいざ知れず、今は真夏、土用の八月。はっと気づいたがもう遅い。
「もしミカンがないと言えば、せがれは気落ちして死んでしまう。そうなったら、お前は『主殺し』で磔だ。それが嫌なら…」
主に脅され、番頭は大慌てで外に飛び出していった。
あちこち探してみたものの、やはりミカンは見つからない。磔柱が目の前にチラチラ…。

「ミカン、ありますか!?」
「あるわけないでしょ、ここは金物屋ですよ?」
なんて事になるぐらい、番頭はパニックになっていた。
「え? 若旦那が重病で、みかんが見つからなかったら磔?」
昔見た引き回しや、磔の場面を聞かされて、番頭はその場に卒倒してしまう。
同情した主人は、番頭を介抱して「神田多町の問屋街…万屋惣兵衛の所に行けばあるのでは」と教えてあげた。
ワラにもすがる思いで問い合わせると、幸運なことにミカンはあった!
「ちょっとお待ちください」
蔵の扉を開け、山積みになった木箱を引きずり出すと、次々と開けていく。
「ありました!」
「え、ある? ね、値段は?」
「千両」
こっちも遊びで店を出しているわけではない。どうしても食べたいと言うお方のために、腐るのを承知で上物ばかりを選んで貯蔵しているのだ…と言うのが向こうの弁。
主に報告すると、「安い。せがれの命が千両で買えれば安いもんだ」。番頭は目を白黒、千両出して蜜柑を買う。
「あー、もったいない。皮だって五両ぐらい。スジも二両、一袋百両…」
上手そうにミカンを食べる若旦那を横目に見ながら、番頭は事の成り行きに呆れてしまう。
喜んで食べた若だんなは、三袋残して、これを両親とお祖母さんにと番頭に手渡した。
「一ふさ百両。三つ合わせて三百両…。このままずっと奉公していたって、そんなお金は手に入らない。旦那様には悪いが…」
この番頭、ミカン三ふさを持って失踪した。

※東京版です。wikipediaより引用しています。

-----------------

 

恥ずかしながら私も八幡浜に来るまではみかんが季節のものだという認識が弱かったような気がします。八幡浜のように農業が基幹産業となる地域では、季節の変化とともに時が流れていきます。街を歩けば今年のみかんの出来を話し合う声が聞こえてくるのです。この季節感はとても新鮮でしたし、自然と調和しているようで素晴らしいものだと感じました。

 

江戸時代の頃からみればかなり品種改良は進み、愛媛県でも多品種の柑橘が、時期を分散して収穫・出荷されるようになりました。リスク分散や所得安定化などを狙ってのものです。



f:id:uekiimaoka:20181020083522j:image

http://www.pref.ehime.jp/h35500/00004/documents/calendar28.pdf#page=1

 

さて、いよいよ11月の第一週には、毎年恒例の、東京の大田市場でのJA西宇和のみかんの初競りを実施します。一年中待っていたみかんの季節の到来に胸が躍ります。今年の出来はどうでしょうか。